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政治

【解説】豊田真由子「暴言」騒動の中身とその後─参政党・政調会長補佐起用までの経緯を整理

2017年に「この、ハゲー!」等の暴言報道で自民党を離党した豊田真由子氏が、2025年9月8日、参政党の政調会長補佐に起用されました。併せて党の運営に関わるボードメンバーにも就くと報じられています。本稿では、当時の騒動の中身から離党・不起訴・選挙・離党後の活動、そして今回の起用の位置づけまで、時系列で整理します。

最新ニュースの要点(2025年9月8日)

  • 起用ポスト
    参政党の政調会長補佐
    党の政策づくりや運営に関与するボードメンバーにも就任。
  • 起用理由(神谷代表)
    政策を強化したい中で、官僚・議員の経験を持つ人材として「ご縁」があった/過去の問題については反省していると認識。
  • 補足
    候補者としてではなくスタッフ採用(政調会長補佐)」との説明も。

    以上は会見での公式発言に基づく要点です。

2017年の「暴言」報道では何が起きていたか

録音音声で拡散したフレーズ

2017年6月、週刊誌報道とともに車内での叱責音声が公開され、豊田氏が当時の秘書に対して「この、ハゲー!」などと叫ぶ様子が広く伝わりました。英字メディアや国内紙も「kono hage(you baldy)」の表現を紹介しています。

他に問題視された言動

同時期の報道では、「死ねば…」と受け取られる暴言があったとも伝えられました。
毎日新聞

直後の政治的対応

報道当日の2017年6月22日、豊田氏は自民党に離党届を提出
与党は都議選直前という日程の中で、その日のうちに受理へ向けた対応を進めた旨が報じられました。その後、2017年8月10日離党届が了承されています。
毎日新聞+2毎日新聞+2

その後の経緯(2017年〜)

刑事手続の帰結

2017年12月27日さいたま地検が不起訴処分(報道では起訴猶予)としました。

2017年衆院選

豊田氏は無所属で埼玉4区から出馬しましたが、落選
当日の選挙報道で伝えられています。

離党後は何をしていたか(2018年〜2024年頃)

テレビ解説・コメンテーター活動

厚労官僚時代の感染症対応の経験を背景に、2020年3月にはフジテレビ系「バイキング」で新型コロナに関する解説で生出演。以降もメディア出演や講演での解説活動が見られました。
J-CAST ニュース

講演・寄稿など

講演エージェント等のプロフィールでは、医療・福祉・社会保障や感染症をテーマにした講演・解説活動が継続している旨が整理されています。

今回の「参政党・政調会長補佐」就任の位置づけ

役割と権限

参政党の政策部門である政務調査会(政調)を実務で補佐。
党運営のボードにも名を連ね、党の方向性整理にも関与します。
候補者採用ではなくスタッフ採用との整理が会見で示されました。
FNNプライムオンライン
TBS NEWS

評価ポイント(論点整理)

  1. 政策立案力の強化
    保健・福祉・介護・感染症等に強い経歴をどう政策に落とし込むか。
    講演依頼.com
  2. 再起の是非
    重大な不祥事経験者の“公的復帰”の基準や説明責任のあり方。
  3. ガバナンス
    党としてのリスク管理(再発防止、内部コンプライアンス、対外説明)をどう設計するか。

当時の出来事を時系列で一気読み(年表)

  • 2017/06/22
    週刊誌が暴言・暴行を報道/自民に離党届提出。
  • 2017/08/10 
    自民党が離党届を了承
  • 2017/10/22
    無所属で衆院選出馬も落選(埼玉4区)。
  • 2017/12/27 
    不起訴処分(さいたま地検)。
  • 2020/03/09
    フジ系「バイキング」で新型コロナ解説に出演。
  • 2025/09/08
    参政党・政調会長補佐に起用(ボード入り)。

Q&Aで押さえる「暴言騒動」の要点

Q1. 具体的にどんな発言が問題になった?

「この、ハゲー!」など、人格否定と受け止められる表現が録音音声で流布し、強い社会的批判を招きました。詳細は週刊新潮系サイトの記事に残っています。
デイリー新潮

Q2. 党としての対応は?

報道当日に離党届提出、約1か月半後に党が離党を了承
都議選直前という政治日程の中で、与党として迅速に火消しを図ったと報じられました。
毎日新聞

Q3. 刑事事件としてはどう決着した?

2017年12月27日、不起訴処分(報道では起訴猶予)。
刑事手続はここで区切りとなりました。
毎日新聞

まとめ

2017年の騒動は、録音音声を伴う報道で社会的批判が一気に拡大し、離党→無所属で出馬・落選→不起訴という流れを辿りました。
離党後は解説・講演などの活動が目立ち、2025年9月に参政党の政調会長補佐として政策サイドへ復帰
評価は、政策成果説明責任の果たし方、そしてガバナンスの実装にかかっています。