人気トーク番組『人生最高レストラン』(TBS系)に、元祖“癒し系女優”として90年代を席巻した 飯島直子さん が登場しました。家族との思い出が詰まったハンバーグ、芸能界最盛期を支えたナポリタン、そして30年以上通い続ける名店キャンティーの料理まで――。番組では、波乱万丈の芸能生活や「どん底」を乗り越えた強さ、そして今の素顔が明かされました。この記事では放送内容をまとめつつ、飯島直子さんの人生と食のエピソード をわかりやすく解説していきます。
飯島直子とは?“元祖癒し系女優”の歩み
1990年代、ドラマ・バラエティ・CMと幅広く活躍し、“癒し系”という言葉を定着させた存在が飯島直子さんです。
20歳でモデルデビュー後、1991年に日テレ系深夜番組「DAISUKI!」への出演で知名度が急上昇し、94年からのコーヒー飲料「ジョージア」のCMで大ブレイク。「一生懸命も休み休みにしてよね」というフレーズとともに、疲れたサラリーマン層の心を掴み、「元祖癒し系女優」として全国的に人気を確立しました。
しかし華やかな表舞台の裏では、事務所トラブルや自身の方向性に悩む時期もあったことを番組で赤裸々に語っています。
人生最高の一品① 家族で食べた「思い出のハンバーグ」
横浜・大倉山 レストラン・オークラ本店
幼少期、外食は年に1回あるかないか。そんな中、特別な日に家族で訪れたのが横浜・大倉山にあるファミリーレストランでした。
そこにははく製のシロクマがあり、子供心に「非日常」を感じさせてくれたといいます。
誕生日に囲む贅沢な食卓
父や母の誕生日に家族全員で食べたハンバーグは、今も心に残る“最高の味”。
華やかなレストランではなく、少し特別感のあるファミレスこそが、飯島さんにとっての「ごちそう」だったのです。
ヤンキー時代と“番長との恋”
小学生時代は内気、中学で大変身
小学校時代はいじめに悩み、家ではおとなしい「内弁慶」だったという飯島さん。
しかし中学では一転、ヤンキーの道へ。聖子ちゃんカットに長いスカート、教科書も持たない“硬派”スタイルで青春を過ごしました。
姉のおかげで守られた青春
姉が学校の“マドンナ”だったことから、周囲の不良たちに守られ、いじめを回避。さらに中2のとき、男子の“番長”から公開告白され、交際することに。
その番長は現在、地元で人気ラーメン店を営んでおり、今も交流があるそうです。
人生最高の一品② 多忙時代を支えた「ナポリタン」
芸能界最盛期のオアシス
歌手・女優・バラエティと休む間もなく活動していた20代前半。そんな時期を支えたのが、東京・目黒にある洋食屋(喫茶店)のナポリタンでした。(店名非公開)
レンガとウッド調の落ち着いた店内で、ご夫婦が営むその店は、忙しさで自炊もできない飯島さんにとって“心の拠り所”。
素朴で懐かしい味が、毎日のように通う理由だったと語ります。
芸能界に対する葛藤
モデルとしては順調だったものの、歌手活動など「やりたくない仕事」に悩み、方向性を見失ったことも。
中山秀征との絆と“DAISUKI!”時代
ハグが生んだ信頼
バラエティ番組『DAISUKI!』で共演した中山秀征さんは、飯島さんを「義理堅く、本物の人」と絶賛。
初めての企画が3on3でゴールを決めた際、飯島さんが自然にハグしてきたことに驚き、「この人は本物だ」と感じたそうです。
芸能界の仲間として30年
握手会に一般客として並んだり、書道展にサプライズで訪れたり――。
飯島さんの“気取らない人柄”は、多くの仲間やスタッフから愛され続けています。
波乱万丈の芸能生活と「どん底」
事務所トラブルで資金流出
番組では「谷底あり、どん底あり」と自ら語った飯島さん。
その一つが、過去の所属事務所の社長が資金を持ち逃げした事件。芸能界を辞めようと思ったこともあったそうです。
しかし30年以上支えてくれるスタッフがいたからこそ、「一人だけ辞められない」と踏ん張り、芸能活動を続けてきたといいます。
人生最高の一品③ 名店「キャンティー」の料理
芸能人御用達の老舗イタリアン
飯島さんが年に2回必ず訪れるというのが、東京・飯倉のイタリアン名店「キャンティー」。
17歳で銀座の喫茶店でアルバイトしていた頃に、常連客に連れていってもらったのが最初の出会いでした。
運命を感じる一軒
芸能界入り後も人との縁で再び訪れることになり、「運命を感じた」と語ります。
中山秀征さんや旧番組スタッフとの定例会食の場でもあり、飯島さんにとって“人生の節目を刻む店”です。
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今の飯島直子とこれから
番組の最後に「今やりたいことは?」と問われた飯島さん。
意外にも「特にない」と即答。ただし、キャンプ用にテントを欲しいと明かし、自然体で飾らない人柄をのぞかせました。
「来た仕事をただただやる女」と冗談交じりに語りながらも、常にチャレンジ精神を忘れない――。
飯島直子さんの人生は、まさに “癒し”と“強さ”を兼ね備えた道のり だったといえるでしょう。
まとめ
- 家族の思い出:横浜のファミレスのハンバーグ
- 芸能界最盛期を支えた:目黒の洋食店ナポリタン
- 人生を共に刻んできた:イタリアン名店「キャンティー」
- 波乱万丈を乗り越えた背景には、家族・仲間・食の記憶があった
『人生最高レストラン』で語られた飯島直子さんの言葉からは、 “癒し系”の裏にある芯の強さ が浮かび上がりました。
これからも飾らず自然体の姿で、多くのファンを魅了し続けてくれることでしょう。